gmk’z blog

より良く生きる為の指針を見つけたい。

働くとは、社会人の在るべき姿。

  働くとはどうあるべきか。ほとんどの労働者はやりがいのある仕事ではなく、単に生活のために働いているでしょう。仕事は生活手段の一つで、それ以上でもそれ以下でもないのが大半の労働者にとっての認識と言えます。

 どこの会社でも「仕事なんだから」「社会人なんだから」という言葉を聞きます。この言葉を聞くたびに、「ああ、残念な会社だな」と思ってしまいます。そして、仕事だから何?社会人だから何?と疑問がわいてきます。こんなことに疑問を持つと、今度は「甘い」とか「常識」とか「屁理屈」とかそういう曖昧で中身のない指摘をされてしまいます。固定概念や常識にとらわれ、思考停止することがこの世で一番不幸で愚かなことではないでしょうか。あらゆる計算機が正常に動作するのは、論理回路とそれを実現する物理回路が何の矛盾もなく、理屈に則って動作するからであり、それにより複雑なゲームやアプリが動いているわけです。その会社での働き方についても原始的な要素から論理を構築し、それぞれに適した結論を出すべきではないでしょうか。

 よく会話の中で「一般的に」とか「常識」という言葉を使う人は、その在るべき思考や理屈を飛び越え、誰かに都合の良い結論へ強引に誘導しようとします。しかし厄介なのは本人たちに悪意があるわけではなく、それが彼らの「当たり前の事」であり、社会の大半の人(主に年配者、高齢者)は彼らの「当たり前の事」に同調してしまうことです。これは社会が論理や理屈ではなく、古い常識や固定概念を優先してきた文化の問題です。しかし、もし科学が古い常識や固定概念に囚われていたとしたら、インターネットもスマートホンも作られず、人類は原始的な生活を送っているでしょう。科学は成長しているのに、社会は古い常識や固定概念に囚われ、いまだに石器時代の様です。

 労働者は如何にして自分たちが楽できるかということを主張しなくては成りません。自分たちが如何に快適に楽に労働できるようにするかを主張する義務があります。経営者のいいなりになってはいけません。「仕事なんだから」とか「社会人なんだから」という原始人の言葉に負けてはいけません。彼らに文明を与えてあげましょう。権利を主張する文化こそが、人間らしい社会の構築に必要なことです。